台風(洪水)との闘い2004年は3回・2005年・さらに2011年、そのうえ2017年も1mほどの浸水。
2018年7月には、【西日本豪雨災害】で、過去最大の被害が出ました。
さらに、その後の9月30日の台風24号でも、ハウスで20センチほどの浸水被害。
毎年に近いくらいに浸水被害を受け続けているのが実態です。
![]() 2004年・台風16号の洪水 家の前の国道です。これで水位が下がった方です。いちばんあったときで、お腹の高さまで水がきてました。 ハウスがある場所では、水深2.5mくらい。 |
2004年・2005年と、立て続けに大洲市をおそった大型台風に伴う大洪水。
特に2004年の台風16号ではビニールハウス9棟全壊、収穫期寸前のキュウリ全滅と、全部で1,000万円は損失がでました。
壊れずに残ったビニールハウスも、猛烈な水の流れと水圧により、どれもこれも傾いてしまいました。
正直言って、もう農業は無理かな?なんてことも。
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泥にまみれたキュウリの図 葉はあとはもう枯れるだけ、咲いている花も全て枯れました。殺菌消毒を兼ねて洗浄しては見たものの、結局すべて枯れました。 |
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水の流れで完全につぶされたビニールハウス。約7.2×50mのハウスなど、9棟全壊 ちなみにこのハウスにもキュウリを植えていたものの、どこに流れていったかわからない悲惨な状況・・・ |
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←この高さ! 水の跡がビニールにくっきり付いてます。 画像ではわかりづらいかもしれませんが、ハウスとハウスの連結している谷部分まで水がありました |
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一年かけてようやく植付けまでこぎつけたイチゴ苗も泥にまみれてなんとも無残な・・・ |
それでも、近所の方々、各関係機関の協力そして市民ボランティアの皆さんのおかげで、なんとかつぶれたハウスも撤去でき、『60年に1度の大洪水、仕方ない』と、なんとか新たな気持ちでたてなおすも、その後も1mほどの浸水が2度も続き、そのたびに被害が・・・
農業を廃業するか、それとも前向きに進むかを悩んだ結果、思い切って鉄骨ハウス・イチゴ高設栽培を導入。
ところが2005年9月、またしても台風14号で2m以上の洪水被害が・・・
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新設のハウスも完成、イチゴ苗定植準備終了! とか思ったら・・・ 2005年9月6日・台風14号四国に上陸! 2004年の16号とほとんど変わらない水位で水がきたおかげで、せっかく入れた培土がほとんどハウス内に落ちて、床からビニールから上の梁まで真っ茶っ茶に・・・ まさに地獄絵図! |
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中古ではありましたが、けっこうきれいなはずだったハウス加温機もこのとおり。 オーバーホールしてみたけど、さて正常に動きますやら・・・ |
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キュウリは、またも収穫最盛期に入る直前に全滅。 夕方から洪水がはじまり、夜中がピーク。 これは次の朝いちばんに入ったキュウリハウス内です。 この時点でまだひざ上まで水がありました。 |
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イチゴ狩りハウスの入り口に、過去の大洪水の水位がわかる看板を取り付けました。 ちなみに上段が16年の台風16号、下段が17年の台風14号です。 手を伸ばしても届かないほど。 記録更新にならないといいけど… 看板の下の銀色の鉄の柱、この高さが23年の洪水水位です。 |
今年もまた近所の人から友人から、たくさんの人に何日も手伝ってもらい、ようやく観光イチゴ狩りオープンに間に合いました。感謝感謝
多少イチゴの生育にムラができたものの、病気もなくすくすく育ってます。
しかし60年に一度の洪水が二年連続で・・・
もう来なきゃいいけど・・・
なんて言ってたら2011年9月の台風15号でまた…
今回については、台風本体が上陸するはるか前に洪水が発生しました。
![]() きれいに全面シート張りした床はドロドロ状態。 固めていた地面が柔らかくなり、いちごの高設架台は倒壊しました |
![]() これは左画像の倒れた架台を立て直して、土を入れなおしているところです。 たくさんのかたがたに手伝っていただいて、なんとか修理できました。 |
![]() これは洪水前に植え付けていたイチゴです。 見ての通りひどいありさま… |
![]() こちらは第2ハウス内部です。 イチゴ高設架台15列中、4列が倒壊。 こちらもなんとか立て直しましたが、再度倒壊するのを恐れて、 以前より20cmほど余計にパイプを叩き込みました。 それでお子様用の高さに。 高設栽培なのに腰をかがめての作業、けっこう腰にききます… |
![]() いちご園裏に堤防ができつつあり、それならと建てた育苗ハウス。 普通に建てるハウスよりも多めにパイプを入れ、筋交いまで装着し、 台風の風でもびくともしない強度で建てたはずが、その堤防工事で “流れよけ”の竹やぶを切り開いてしまったため(それもそのままの状態で数か月放置…)、濁流に押しつぶされてしまいました。 建てて数か月… 翌日から定植する予定だったイチゴ苗はすべて流されて泥の中。 ひどいものは数百メートル下流の田んぼの中から出てくるくらい。 育苗資材(鉢や育苗箱など)はかなりの数が行方不明に。 まだ数える余裕がないのではっきりとは把握できていませんが、 鉢(育苗ポット)が2,000〜3,000個は減っているはず。 ハウス本体とあわせて、どれほどの損害がでていることか… ちなみに地元のかたが工事業者に話をしてくださって、2週間後にその竹やぶの切れ目に土のうを積んでもらいました。 というか、洪水が起きるような時期は、最初からそういう洪水対策をするのが当たり前という施工方法をお願いしたいものです。 ![]() いちご園から見た、堤防工事のようす。 真ん中の白いコンクリートの建造物が、新たにかけられる大きな『宇津橋』の橋脚です。 そのまわりの竹やぶがなくなり、そこからの流れによって被害が拡大されました。(2012年6月現在、土を盛って暫定堤防ができています) ただ、堤防がきれいにつながっているわけではないので、こんどはどこからどういうふうに流れができるか… |
![]() 上が洪水前。 これまで作った中でも最高!どれだけ採れるか楽しみ!!だったトマト。 赤く色づいたものもちらほら見えてきてたんで、そろそろ“愛たい菜”に出すための袋や値札を準備して…と言っていた矢先に下のような状態に… ![]() これ、ちょっと見ずらい画像ですが、何を隠そう、この画像を撮った時点で、まだ水位は30cmくらいありまして、中まで入って行けなかったんですよね… 1カ所にまとめて置いておいた資材などは、あちこちにプカプカ浮いてます。 後で回収して回りましたが、水を吸って重いのなんの。 このトマトだけでもすごい損失でした。 |
というわけで、ハウスそのものは16年の洪水で潰されるものは潰されてて、新規に建てたのは鉄骨ハウスだったため、育苗ハウス以外は倒壊をまぬがれました。
それでもとんでもない水圧により、数十センチ埋めてあるハウスの基礎はえぐられ、多少歪みが出ました。
幸いにも高台に置いていたイチゴ苗が無事だったこと、周りの農家さんや友人がたくさん来てくれたおかげで、なんとか定植することはできました。
でもハウス内の掃除やらなんやらで、4か月間はほとんど休みなし。
“家のタタミの床一面に溶けたチョコレートが5センチ乗っかってこびりつき、それが乾いて板チョコ状になったものをきれいに掃除する、それが2,500u・約1400畳ぶん”と言ったらイメージがわきますかねぇ?
(よけいわかりにくい?)
ハウスまわりや駐車場などの泥掃除までいれると、とんでもない作業量でした。
ハウス内の床も、きれいに掃除したかと思えば、水に濡れると泥が染み出し、その泥を掃除の繰り返し。
洪水から半年たっても、いまだにこんな作業が残ってます。
まだトマトの部分は大雑把に泥をのけた程度で、泥と一緒に流れてきた雑草の種が元気に育って、草ボーボー状態だったり、完全に水没したハウスの加温機は、いまだにオーバーホールもできてない状態…
堤防、なんとかならないもんですかねぇ…
しかしこれほどの被害、いつまで続くことやら…
ゴミ箱も洪水で流されてしまって…と書いていたら、
お客さんが『これ使わないから、いちご園で使ってください!!』と、ゴミ箱を持ってきてくださいました。
小ハウスで使わせていただいてます。本当にありがとうございました!!
2018年(平成30年)7月7日の
【西日本豪雨災害】
特別警報が発令されるほどの大雨により、これまでに経験したことのない洪水被害を受けました。
平成12年に就農し、平成16年の洪水が(ハウスで)約2.5mでしたが、今回の水位は『測定不能』です。
少なくとも、ハウスの屋根(約4m以上)が完全に水没するほどの水位でした。
![]() 第1ハウスにつながる新しい橋、『宇津橋』です。 お越しになられたかたはおわかりいただけるかと思いますが、 川の水面からかなりの高さがある橋ですが、それがもうギリギリの ところまで、ものすごい濁流が。 川原の大木がベキベキと大きな音を立てて折れていきます。 |
![]() 左の画像から1時間ほどでぐんぐん水位が上がり、町が水没。 我が家にももどれません。 |
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宇津橋の上から撮影。 川の流れの中に、樋門(水門)を操作する建物がポツンと。 ここまでくると、建物自体が流される危険性があることから、これを操作する水防団員も当然避難です。 これも、宇津橋を渡るときに見ていただければ、どれだけ信じられないほどの水位だったか、おわかりいただけるかと。 これを見た上で、さらに上流の鹿野川ダムが毎秒3700トン放流という情報をネットで得たことから、まちがいなく家屋浸水・へたすると堤防も超えることが予想(というより確定)しました。 なにせこの堤防、下流部分は閉じられていなくて、そこから水が入ってくる『霞提(かすみてい)』。 肱川がこの水位なら、結局は堤防の内側も同じくらいの水位になるわけで。 『いちばん安全』と堤防の上に避難していた自家用車を山へ逃がし、軽トラなどを高台に移動した時点で、すぐに家族とともに高台のお寺に避難しました。 ほんと、ギリギリでのタイミングでした。 へたすると、命の危険もあったほどです。 ダムの放流量や貯水量、肱川の水位の状況を前日からずっとモニタリングしていたので、動かせるものはあるていど逃がせたといった感じです。 |
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水が引き、なんとかハウスまで行けるようになった翌日の状況。 上流から流れ込んだ泥が一面に覆いかぶさってます。 ハウスの2重カーテンのビニールにも泥が乗り、重みで鉄パイプのフレームがすべて押しつぶされました。 |
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ある程度乾いてからの画像ですが、水が引いたすぐは、長靴が埋まって歩けない、田んぼのような状態でした。 ハウス内には、釣ったことのない50センチオーバーのブラックバスが干からびてました・・・ 水や泥の重さで、イチゴの高設システムのハンモックが破れて培土が落ちたり、ひどいところはフレームが曲がったり折れたりと、かなりの被害が出ました。 完全に乾いたうえで、それでも5センチくらいの厚みの泥が、ハウス内にびっしりです。 重機が入らないハウス内、どう考えても、途方に暮れるほどの量・・・ これほどの泥を、40℃近い『危険な暑さ』と言われた8月に、地元や他の地区のJAさんが毎日来て下さり、手作業で取り除き、一輪車でハウス外に運び出してくださった結果、8月中旬には、1700u中、約1000uぶん以上の面積の泥を撤去することができ、その後も時間があればお手伝いに行くよ!との心強い言葉をいただいて。 おかげさまでなんとか心が折れることなく、前向きでい続けることができました。 |
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画像はハウス内に二酸化炭素を供給し、作物の光合成を促進するための、炭酸ガス発生機。 それとハウスを温めるための大型のハウス加温機。 それらが第1・第2ハウスに1セットずつ。 ぜんぶダメになりました。 残念ながら、メーカーさんに引き取ってもらいました。 あとは、 ハウスの温度を管理する自動換気装置や、水やりをする自動かん水装置など、ありとあらゆる機械類がすべて水没。 とりあえず水洗いして、しっかりと乾燥はさせたものの、こういった機械類は、あとからあとから不具合が出てしまい、栽培している作物に『致命的な』影響を与える危険性があることから、これらもすべて交換しないといけなくなりました。 |
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こちらは収穫後期のトマトです。 トマトには見えませんが、トマトです。 |
![]() 受付の建物は、いったん浮かんで、ずれた位置で止まってます。 かんぜんに傾いてしまっているから、なんとかまっすぐにもどさないと。 |
![]() ハウスと受付のあいだの屋根も、ハウスにぶつかる形でひん曲がってます。 奥のトイレもかなりドロドロ。 無茶苦茶です。 |
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家は床上40センチ以上の浸水でした。 畳はだめ、床の下地のベニヤ板はベコベコ。 電化製品やバイクなど、結構な被害です。 |
この西日本豪雨災害での洪水、逆にいえば『あれほどの水位の濁流に飲み込まれながら、ハウスはつぶれず(被害はでたものの)、いちご苗も流されることなく、ほぼ生き残ったことを考えれば、『奇跡的』ともいえる被害の“少なさ”ではないかと。
とはいえ、これをもとどおりにもどすのは、とてつもない手間と時間が必要なのは言うまでもありません。
じっさい、毎回毎回、洪水のたびに心が折れてますが、今回は平成16年にハウス全滅したときなみの被害に、なにをどうしてよいかわからないくらいです。
さて、元通りに戻すことができるのか?
戻したところで、堤防やダムなどの治水対策や、被災者に対する支援などの『根本的な部分』をいちからしっかりと考えていただかない限り、何度でも襲われる確率が高いだけに、モチベーションを保てるのか?
いろんな事を考えざるをえない災害、それが今回の西日本豪雨災害でした。
そして、12月下旬現在の状況はといえば、第1ハウスの修理はほぼ終了したものの床の泥のけなどがまだ残っている状態で、1月のオープンまでにはなんとか間に合わせたいといったところ。
第2ハウスにいたっては、5連棟のハウスのうち、2棟のトマト部分を取り急ぎ修理してもらい、なんとかトマト栽培は間に合ったものの、イチゴ高設栽培システムは被害が甚大で、いちど完全に撤去したのち、新たに建てる工事が、年明けからスタート。
洪水被害を受けてから、半年近く過ぎてもまだまだ完全復旧には程遠いというのが実情です。
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2018年9月30日の台風24号での被害
7月にあれほどの被害を受けたので、さすがにとうぶんは被害を受けることはないかな?(というか、もうかんべんしてくださいって感じで…)と思っていたら、9月30日の台風24号でも、ハウスが浸水被害を受けました。
今回はハウスで20センチほどの水位で、これまでの浸水被害に比べるとたいしたことないように思えるかもしれませんが、ようやく乾いてきたハウスの床が再度ドロドロに。
ハウス内に入ってくる水は、ハウスのビニールの下の土を掘って侵入してくるので、その部分の地面はえぐれていまい、その周りは泥だらけになってしまいます。
稲刈りしたばかりの時期なので、切り込んだ稲わらがすごい量流れてきて、それがハウスのまわりに大量に残されていたり。
ただ、これまでの経験から言うと、降った雨量などを考えると、間違いなくハウスで1m以上の浸水が起こっていると予想していたのが、20センチほどで済んだのが不思議で不思議で。
ただ、その理由は明らかで、、、、
7月の豪雨災害を受けて、上流の2ダムとも、これまで見たこともないほどの低い水位まで事前放流していたこと、これが間違いなく被害を最小限に食い止めた原因です。
なぜ、これまでもそれだけの事前放流を行わなかったのか???????????
これまでの洪水水位が1mずつ低かったら、どれだけ被害が少なくてすんでいたかと思うと、悔しい思いでいっぱいです。
なにを第一に考えて放流操作をするべきなのか、『ダムの下流に自分の家族の生活や命があったとしたら?』と、いちど想像してみていただきたいものです。
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2023年7月の大雨での洪水被害
雨はかなり降ってはいたものの、そんなに構えてはいなかったのですが、どうも川が増水してきているらしいとのことで、水やり用のポンプをいちおう持って帰っておくか?くらいでハウスに行くと、ポンプ撤去をしているあいだの数分間にどんどん水かさが増してきて、気づけばハウスで1mほどの冠水。
すぐにハウスのドアを開けて回り、水の出入りを妨げなかったので、ハウスの骨組みなどにはダメージがありませんでしたが、床は泥だらけ・流れ着いたごみだらけに。
そのため、床のシートはすべて張り替える羽目に。
約20年乗り続けて、そろそろあちこちガタがきている軽トラ、そろそろ買い替えるぞと貯めていたお金がパーになりました。
まだとうぶん乗り続けなくちゃいけないです・・・
やれやれ
![]() 晴天の続いたときの肱川。 あれほどの洪水が起こるとは、この穏やかな状況からは想像もつかない感じです。 |
![]() 大雨で上流のダムが毎秒約540トンの水を放流したときの肱川。 この沈下橋、洪水時は、完全に水没します。 (こちらの沈下橋はすでに撤去され、大きい宇津橋に変わっています) 西日本豪雨災害時にこの橋があったら、間違いなく流されていることでしょう。 |
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上の2枚の画像が同じ川のものだとは思えないくらいです。右のような状態だと、渡るのも怖いくらいです。 | |
肱川の治水対策について(平成30年の西日本豪雨災害や、その後5年以内にすべての堤防工事を完成させる、ダム放流ルールの改定などの前に書いた部分ですので、2024年6月時点での状況とは異なっているかと思います。時間ができれば、見直して加筆・修正していこうかと思います) @ダムの放流 16年・17年の大洪水時には、ダムの決壊を防ぐために流れ込んだ水をそのまま下流に垂れ流す、『但し書き操作』というやりかたで毎秒約2000トン以上の水を流されました。 言葉だけ聞けば、ダムが決壊すればその被害が甚大になるのは明白ですが、『大雨・洪水注意報』を発令したうえで、ダムの水を90〜100%溜めこんだまま予備放流もしないなんてのは、誰がどう考えても『ダム管理者はいったい何を考えて仕事してるの?』と思いたくなります。 2005年の台風14号の時は、襲来の数日前には『大雨が降る、超大型台風』というニュース報道、また前日の時点で九州・宮崎で甚大な被害が出ており、愛媛県でも注意報でなく“警報”が発令されていました。 それでも川は濁ってはいるものの大して増水していない(予備放流してない)状態から、台風が過ぎ去ったあと、ダムの放流が始まったらあれよあれよと水位が増し、畑はもちろん家屋まで被害が出るほどに。 大洲市を流れる肱川には、上流から野村ダム・鹿野川ダムの2つのダムがあります。 鹿野川ダムは、発電に使われていた容量をなくし、川に一定量の水を流し続けるための貯水、また洪水対策用のダムとなってます。 しかし古い設計のダムなので、ある程度以上は水が抜けないという構造。 それに加えて、上流にある野村ダムが放流すれば、その貯水量はすぐに満タンに達し、結果流れ込んだ水をすべて放流ということに。 もっと下のほうから水を抜けるよう、改造工事をしてはいるみたいですが、それで下がる水位は40cm… いっぽうの野村ダムは、八幡浜や宇和島に生活用水を送るための水瓶としての部分が大きいようです。 その貯水率について、洪水に対する調整用の容量を増やすためには、そのぶんの容量を買い取らなければいけないそうです。 でも、これほどの頻度で大洪水がおこり、多大な被害が起こっている反面、渇水で困っているという報道は松山市ほどは聞かない気がします。(私が知らないだけかもしれませんが) ここ7年の短い間に3度もの大洪水が起こっている、逆に長期間にわたって取水制限しないといけないほどの渇水は起こっていないことを考えれば、もう少し洪水対策に容量をさいてくれてもいいのでは?と思うのですが。 昔から渇水に悩み続けてきた地域にとって、そのダムができたことによって受ける恩恵は計り知れないものだと思います。 でも、梅雨時期や台風シーズンなど、空っぽにしても大雨が降れば、すぐに満タンになるのは明らか。 実際に、大洪水がおこったときは毎回貯水率100%を超え、その超えた分は下流に流しているわけですから。 お金がどうこう、権利がどうこうでなく、どうすればみんなが安心して暮らせるかを第1に、市町村の垣根をこえた協力体制を作っていただきたい。 例えば、梅雨時期や台風シーズンなど、洪水が起こる危険性の高い時期については、それまでのデータで得た『これだけあれば渇水は起こらない』という水位まで目いっぱい水を抜いておく、大風が近づいたら、これから降るであろう雨量にあわせて、さらに事前に水を抜いておき、大洲市の洪水を防ぐ・被害を最小限に抑える。 それでもし、予想とはまったくちがって雨が降らなかった、貯水率が下がり、渇水になるといったときは、それで被害を免れた大洲市が、民間などの給水車を手配して給水する。 こういった協力体制ができていて、野村ダムの放流を数時間遅らせられたら、洪水の水位はかなり下がると思うのですが。 農業者向けの洪水後の説明会で、『支流にもうひとつ山鳥坂ダムを建設すれば30cmは水位が下がります!』と胸を張っておっしゃった関係者のかたがいましたが、2mの水が(鹿野川ダム改造とあわせて)70cm減ったとしても1m30cm。 家屋の床下浸水した人が、それによりギリギリ助かるというのは、たしかにすごいことです。 それで助かる人はたくさんいると思いますから。 ただ農作物というものは、地面から生えているものであるということを考えれば、10cmの洪水でも大きな被害が出るという認識を持って話をしてもらえるようならありがたいなと。 台風が来るたびに、小学生のわが子たちが、『ぼくならダムの水を抜いとくのになあ』と言います。 そんな言ってみれば『小学生にもわかる常識』が通じない、『マニュアルに反したことをすれば罰せられる、マニュアルに従っていれば、たとえ大洪水を引き起こしても言い逃れできる』といったマニュアル主義・事なかれ主義が被害を大きくしている要因のひとつでは? ダム側のホームページを見ると、『2つのダムの洪水調節で、水位が○○センチ下がりました』という記述があります。 でも、ダムというものはそもそもそういった機能はあって当然のもので、『鳥が空を飛んだ』『船が水に浮かんだ』といって、『それはすごい!!』という人はいませんよね? 『ダムの水位が何メートルまで来たからこれだけ流す』なんて操作なら、機械でもできます。 そうではなく、『上流域でこれだけ、下流域でこれだけ雨が降っている、潮の干満も計算して、これだけずつ流せばギリギリ洪水にならない』といった、過去のデータや予測を交えた管理をするくらいはできないものかと、つくづく思います。 それがプロの仕事ではないかと。 もし民間企業が洪水調整をすれば(無理な話ですが…)、そういった高いレベルで操作するのではないかと思います。 そこまでやっていただいたうえで、それでも洪水が起きというのなら、まだあきらめもつくのですが。 肱川流域の堤防工事について これは“いつ堤防ができあがって安心して暮らせるようになるのか?”と、各関係機関から公に開示されているホームページをじっくりと読んで勉強したのですが、答えを先に言うと『ぜんぜん先が見えない』ということになります。 どういうことかといえば、 @堤防工事は鹿野川ダムの改造工事・山鳥坂ダムの建設が終わり次第本格的に着手する これは言い換えれば『山鳥坂ダムの建設が終わらないかぎり堤防は作らない』ということです。 しかも近年の“公共工事の見直し”により、山鳥坂ダムについては完全に凍結されたまま… 工事着手から30年後に完成予定のダム、そのダムが完成してから着工し、さらに数十年かけて作られる堤防です。 今世紀中に完成するのかどうかもあやしいところです。 800億円ものお金をかけて30センチの水位を下げるダムの建設、それよりも120億円でできる堤防を先に作って、小規模の洪水はゼロにする、大規模な洪水でも被害を最小限にすることのほうがいまやらなければならないことではないかと思うのですが… 肱川流域の『周り全部の雨水が集中し、しかも盆地で海水位とあまり大差ないことで、洪水が起こりやすい大洲市です。 近年、東京などの都市部にしろ、そのほかの地域にしろ、『ゲリラ豪雨』というのが問題になっており、大きな被害が各地で出ています。 長期的に見れば、できるだけ川の水位を下げる、コントロールすることは絶対に必要になってきます。 その意味で、山鳥坂ダムの建設は、肱川流域の地域にとって不可欠なことだと思います。 しかし、現状で大きな被害が出ている地域をほったらかしにして、ダムありきのかんがえ方には、疑問が残るところです。 また、あまり問題視されていないのが不思議ですが、『まったく被害を受けない地域ができている反面、菅田地区などは今までと変わらないほどの高い水位・大きな被害を受けている』 また、『これまで洪水被害を受けたことがない地域が浸水被害を受けるようになった』という点。 下流域の長浜地区は、暫定堤防とはいえ、堤防が出来上がっている、また、暫定部分(低い場所)も土が盛られて、“本堤”にする工事が進んで行ってます。 平成16年の洪水以降、東大洲・西大洲にも、着々と堤防が出来上がっています。 また、支流であるとはいえ、本来は上流域であるはずの内子・五十崎については、きれいな堤防ができあがっています。 これらがなにを意味するか?といえば、 @これまで上流で氾濫していたはずの水が氾濫しなくなり、すべて肱川本流に流れ込む。 A下流域(東大洲・西大洲・長浜)で氾濫していたものがなくなり、中流域(菅田地区)の水が下流に流れていきにくくなる そのため、上からはどんどん流れてくる・下には流れにくいことで滞留した水が、菅田地区に集中していることになります。 ここから 堤防の早期竣工と、ダム管理のやりかたを変え、流域の住民の生活を一番に考えてもらえたら・・・ 県も国も、陳情しても本気で取り合ってはもらえないのが現状。 “大洲市の市街地や下流を守るための実質的な遊水地”として、一身に洪水の水を受け止め続けている、また今後もずっと受け止め続けなければならない地区でありながら、“遊水地扱い”として保障の対象になっていない現実。 一部地域では、堤防がありながら、そのさらに内側に『市街地を守るため』の堤防があるところがあります。 もしも堤防を越える水が出たり、堤防が決壊しても、その内側の堤防で水を食い止めるというものです。 その堤防と堤防の間にある畑や田んぼについては、遊水地として『共済掛け金の何割を補助する』という制度が出来上がっています。 かたや『堤防はあるが市内への水の流入を食い止める遊水地』という場所が存在するいっぽう、『無堤防で下流域すべてを守るためにとんでもない広さの土地が犠牲になり、まったく保証もされない地域』がある矛盾、どう考えてもおかしいと思います。 堤防ができていない以上、『もしも洪水が起こるなら、下流域を守るために水を受け止めてください、そのかわりそれで受けた被害については保障する、もとの状態に戻します』とならないと、いけないと思いますが。 戦国時代に『本隊や殿様を逃がす時間を作るために敵を食い止める“しんがり”・死に残り部隊』でも、残した家族の生活や、末代までの誉れとして大事にされたという保障があったように、犠牲になる者への思いやり、保障はなくてはならないものではないかと。 高速道路の2車線化などの、“生活を便利にする”ことを後回しにしてでも、まず第一に“安心して暮らせる環境つくり”に税金を使ってくれるような国になったなら、もっともっとみんながんばれるんでしょうが。 この大洲で農業をはじめてから、そういった思いが強まりました。 これを読まれた方は、どうお感じですか? −−−−−−−−−−−−−−− 2018年の西日本豪雨災害で被害を受けての考え ダムの放流のしかた、堤防の早期竣工を望む気持ちにかわりはありません。 ただ、今回の豪雨災害の場合は、過去何度も『なぜ?』と思い続けてきた、ダムの放流のしかたがどうこうといったレベルの話ではなく、『とんでもない量の雨が降った』ということが、大きな被害となった最大の要因だ、と思っています。 上流の2ダム(野村ダム・狩野川ダム)ともに、前日からの大雨により、見たことないほどの水量を溜め込んだ『満水状態』でした。 『これ以上放流してしまうと、まちがいなく洪水が起こる』から、流すことができない。 その状態で、雨が降らなければ助かったのですが、7日早朝の豪雨によってとんでもない量の水がダムに流れ込み、決壊をさせないために『入ってきた水量をそのまま流す』但し書き操作により、狩野川ダムでは毎秒3700トンもの放流量になってしまったこと、これが肱川地区や菅田地区、ならびに大洲市内での大洪水につながりました。 菅田地区については、いまだに堤防ができておらず、肱川の濁流をもろに受け続けたことで、鉄骨のビニールハウスまで倒壊してしまうほどの『壊滅的な』被害となりました。 これがもし、霞提でも完成して、流れはこなかったとしたら、ビニールハウスなどはもちろん、住宅街への被害もかなり軽減できたのではないかと思います。 じっさいに、当園でも、霞提が完成し、下流からじわじわと浸水した第1ハウスと、堤防工事がすんでいなくて、上流からの流れにさらされ続けた第2ハウスとでは、あきらかに被害の大きさが違います。 地球温暖化により、今後ますますとんでもない雨の降り方になる確率は高くなると思いますし、今回の豪雨が最大だとは言い切れません。 そこで、今こそが抜本的な治水対策を考え直す、最大・最後の機会ではないか?と思うのですが。 シロウト考えと思われるかもしれませんが、 @野村ダムと狩野川ダムが同じ線上にあること、これが肱川の最大の弱点だと思います。 たとえば、野村ダムが放流すれば、必然的に狩野川ダムの放流量はそれが『上乗せ』されます。 そのため、狩野川ダムが満水だったり、下流の肱川が氾濫寸前のときは、野村ダムは放流できず、溜め込んでいくしかないということになります。 いちばんの解決策は、野村ダムから『下流の肱川でなく別ルートで放流できる放水路』を作ることではないでしょうか? その放水路がもしあって、ずっと放流し続けることができていたなら・・・野村ダムの貯水量を減らすことができていたなら・・・ 7日朝の豪雨のぶんを、すべて但し書き操作で流すことなく、あるていど野村ダムにためることができたなら・・・ 野村町の被害はもちろん、下流の肱川地区・菅田地区・大洲市内の被害も劇的に減らせたのでは?という思いでいっぱいです。 もちろん、その放水路を作るにはかなりの予算が必要になることでしょう。 ですが、今回の洪水被害で受けた、ありとあらゆる被害や、今後起こるかもしれない大洪水への対応、また、毎年に近い被害を受けている中小規模の洪水被害をほぼゼロにでき、これから数十年・数百年の肱川流域の安全を手に入れることができるなら? ダム1つ作るより、安く上がったうえで、最大限の効果を生むのではないか?と思うのは、素人かんがえでしょうか? A住宅地や商業施設は本堤内で完全に守り、田畑はその外で遊水地扱い・霞提(かすみてい)で流れからは守るかたちの二線提を整備する。 ただ、田畑はどうでもいいということではなく、遊水地として住宅街などの『生活を守る』ために浸水被害を受けたら、そのぶんはしっかりと補償されるということが大前提での話です。 (堤防すらない、実質的な遊水地でありながら、この補償がないのが、現在の菅田地区だということも知っていただけたら。) 霞提での浸水は、じわじわと水が上がり、じわじわと水が引いていくことから、同じ水位でも被害は最小限に抑えられます。 その霞提内の田畑が、増水した河川の水を受け止め、河川の水位を下げることで、住宅街などを守る本堤の決壊や越提を防げることに。 河川の濁流の力を直接受けることなく、本堤が削られての決壊もかなりふせげるのでは? 重ねて言いますが、浸水被害を受けた田畑や施設への補償が大前提での話です。 ニュースで、堤防が決壊して大きな被害を受けた映像を見ますが、家屋などといっしょに、田畑もその堤防内にかなりあるように見受けられます。 それらは、上記のような形での二線提にしていたなら、もしかしたら被害が出なかったか、もっと抑えられていたのではないかと。 大洲でも、住宅街や商業施設を完全に守り、すべての地域の田畑で水を受け止める考えに変われば、家屋浸水は劇的に減るのではないでしょうか? シロウトが何も考えずにえらそうにペラペラと・・・と思われるかもしれません。 でも、それくらいのことをしないかぎり、この大洲は存続していけないのでは?と思うのは、私だけでしょうか? 何度も何度も洪水被害を受け続けている、台風や長雨の予報を見ただけで心臓がバクバクするくらい、いつも洪水に悩まされて、いつも考えている者の考えではあります。 これほど全国から注目してもらい、また市民みんなが家屋や職場まで浸水して、洪水の恐怖を味わっている今こそ、徹底的に作り変えるチャンスではないかと思います。 全国に先駆けて、モデル地域的な事業にすれば。 逆に言えば、ここを逃せば、次のチャンスは数百年後か、もしかすると二度と・・・かもしれませんね。 有識者の方たちが、本気で考えて下さること、心より願っています。 そして、、、 この豪雨災害を受けてようやく、『今後5年以内に肱川のすべての堤防工事を完成させ、平成30年7月の西日本豪雨災害クラスの大雨でも浸水被害が出ないようにする』との決定がなされました。 本当に、肱川流域に住む者、とくにこれまで堤防を作ってももらえず、台風のたびに洪水被害を心配しなければいけない、そして実際に2年に一度は畑が浸水、3年に一度は家屋浸水することがあるような地域に住んでいた者にとって、『これでようやく普通の生活ができる』と、最も待ち望んでいたことが現実になることに、喜ばしい限りです。 30年はかかるといわれた堤防工事。 それまで毎回毎回洪水被害にビクビクしながらの生活。 台風が来るたびに、体調が悪くなってしまうくらいまで、精神的にも打ちのめされていました。 その『お先真っ暗』の状態から、『5年後には堤防ができる』というニュース報道を聞いたときは、一筋の光明が見えた瞬間でした。 それでも、その堤防工事が完全に終わるまでの5年間は、まだまだ浸水被害が続く恐れがあるため、台風時期にハウスから持ち出せないような機械(とくにハウス加温機)の再導入は泣く泣くあきらめたところではありますが・・・ ともあれ、できるだけ早い時期に完成していただけるよう願うばかりです。 |